配偶者へ

先ずは感謝を述べたい。

現代社会において何よりも価値があるとされ、産まれいづる遥か前より隷属を誓わされる「金」を労働により精神、肉体、魂を穢すことで稼ぎ、またそれを盲目的に「書類上に記載された配偶者と呼称される人間」の生命を維持するために分配してくれることを。

私が存在するか否か、または配偶者であるか否かは殆ど関係なく人類は資本の奴隷となり汗と血と涙を流すが、それがさほど利害のない関係性で分配されるという点については神の慈悲としか言いようがない。

一般的にそれは血縁や家族などと呼ばれる私が最も忌み嫌う要素に何故か起因するらしいが、理由はどうあれそれにより生かされている。神は偉大だ。

私は「換金するに値しない」とされる程度の軽度の家庭内労働と「誰にでも代わりはいる」とされる職業の最底辺でパートタイムで端金を頂戴し、現行法を駆使して雀の涙ほどの年金を掠め取って生き長らえている。

恐らくこの認識は私の配偶者も似たりよったりで、ある人からすれば「気儘なその日暮らしを配偶者に寄生する形で送っている」といったものだろうか。

紛争地帯や先進国のスラムと比較するならそれはまさにその通りだろう、こんな胆力のない人間がそもそも四十を過ぎて生きているのがおかしい。資源の無駄遣いもいいところだ。

 

「君は休みの日は何をしているんだ」と憤慨する配偶者の気持ちも分からなくはない、自分でも驚く程何もしていないからだ。

日常の消耗品や食料品を買い、猫の世話をし、あとは布団の中にいる事が殆どだ。

 

私自身、自分の正式な容態、もとい病名をよく理解してはいない。何かと提出を請われる診断書には「うつ病」とあるが、本当かどうかは知らない。流行りの発達障害PTSDに関しては医者はあまり踏み込みたくないらしいので普段読みもしない空気を読んでいる、あまり医者の機嫌は損ねないほうがいいと社労士と医者のやり取りの中で感じた。年金が貰える事が大事だ。

「結婚しててパートができてお母さんが近くにいるなら完璧な状態だ」と医者も太鼓判を押す「出来の良い精神疾患患者」の出来上がりだ。

仕上がりが問題なので、治るとか治らないとかいう、普通の病院では話題になることは殆ど上がらない、もしかすると禁忌なのかもしれない。治ったところで年金が貰えなくなり、ただ貧困具合が悪化した中年になるだけなので言わぬが華、元気で金が無い中年など目も当てられない。

 

「最低限の家事はするから数万くれ、それで婚姻が成立だ」とは言ったものの、悲しいかな人は変わる。同居などしようものなら、もうそれは凄惨なものだ。

お互いに相手に求める期待値は上がり、そして互いの領海侵犯が始まる。悲喜交交阿鼻叫喚であっという間に月日は流れ、気づけば各々が昔の道頓堀のような腐臭を放つ汚泥を抱えることになる。魂の深淵は道頓堀だ、醜悪で底が浅い。

ましてや「精神疾患」なるものを抱えた者たちのそれなど早く埋め立ててしまったほうが害悪が少ないのかもしれない。

「抱えた者たち」というのは「その他大勢」を指すものではない、私自身とその配偶者だ。

私は医者ではない為配偶者が「精神疾患」であるかどうかは知らないが、通院すれば恐らく何らかの名前がつくのではないかと思っている。何故なら「精神疾患」を人生の半分の月日で患っているとされる私と「結婚し、住まいを共にしている」からだ。相当胆力がある人間でなければ私と離婚するか、元から精神の調子が悪いか、既に病んでいるだろう。

そして、私がどんどん弱り、配偶者の領海は拡大されていった。

私は完全に敗北した。私の領海は今や布団の中だけだ。

この場合、モラハラやDVなどという言葉は相応しくない。私は恐らく、自分の身一つと1匹の猫の為なら働けるのだ。配偶者と違い、私はこのパートタイムの賤業をそれなりに愛している。

だがそれ以上の事はもうできないくらいに私は弱り果ててしまった。

私にはあれほど愛した音楽に向き合う気力はなく、その為のテリトリーもない。

割愛するが「ほっと一息つける実家」などというものはそもそも存在しない。

生きる為に婚姻届を出し、魂は追いやられた。それは閉ざされた己の空間に光を見出す類の「精神障害者」には当然の帰結だ。

私はもう誰一人として、人間を愛していないしこの先も愛さない、過去に愛した事があるかも甚だ疑わしい。

魂はとうの昔にこの世にない、肉体がただ残り愛玩動物たちの最期を見届けるために実存する。

最後の抵抗として侵された領海を少し慣らしたが、恐らくこんなものは戦車に石礫を投げるが如くあっという間に、そしてより広く侵犯されていくのだろう。

 

ただ、私はもうどうでもいいのだ。最後に石礫を投げつけたという史実が、私の中に残ればそれでいいのだ。

 

神よ、私の肉体を、どうか最後の一匹の猫がその息を引き取るまで、どうか保ってください。

私はその為に、魂は葬り去りました。

そしてその浮遊する魂が私の肉体の滅びを確認したとき、過去に愛した動物たちが導かれた光と共にさりますように